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今日ボクが見た風景

「東アジアの三大旅行記」『東方見聞録』『大唐西域記』『入唐求法巡礼行記』

クイズです。
世界で「東アジアの三大旅行記」と呼ばれている古典書物があります。


三つあります。

ひとつは、マルコ・ポーロの『東方見聞録』です。


黄金の国ジパングの記述で有名です。
もうひとつは、僧正玄奘(げんじよう)の『大唐西域記』です。


これは、孫悟空の活躍する西遊記としても有名です。

あとひとつは何でしょうか・・・?

答えは『入唐求法巡礼行記』(にっとうぐほうじゅんれいこうき)です。
これは遣唐使として支那(唐の国)に渡った平安時代の日本人僧侶の円仁


(えんにん、794-864)が、唐の国での体験を綴った本です。
円仁は、栃木県出身の僧侶で、第三代天台座主の慈覚大師


(じかくだいし)としても知られている人です。

『入唐求法巡礼行記』は、全文漢文で書かれており、世界にも知られ、


世界ではこの三つを称して中世の「東アジアの三大旅行記」としています。

ところがこの本は、戦後の日本では、まったく知られていません。
まるで「なかったもの」にされているかのようです。
『入唐求法巡礼行記』をわかりやすく書いた本も、ほとんどありません。


(中略)

この本の中に、9世紀の唐の様子が、実に克明に記録されています。
そこで本文をすこしご紹介してみたいと思います。
原文は漢文なのですが、筑摩書房の古典日本文学全集〈第15〉


仏教文学集、入唐求法巡礼行記(堀一郎訳)をもとに、


おもいきった現代語訳にしてみます。

ご一読いただければ、当時の支那が見えてくるだけでなく、


支那のウシハク皇帝、つまり神話を失なった国において、
権威と権力と武力を併せ持った皇帝が、いかなる存在となり、


臣下や民衆にどのような影響を与えるのか、


おわかりいただけようかと思います。





『入唐求法巡礼行記』
円仁(第三代天台座主:慈覚大師)

皇帝の討伐軍は、叛乱軍が立てこもる州の境界線で、叛乱軍の激しい抵抗にあって攻め込みきれないで境界線上にとどまっていました。
すでに多くの日数が費やされています。
皇帝からは進軍を促す催促が、毎日、矢のように来ています。
けれども叛乱軍の抵抗が強くて前に進めません。

ところが追討軍が前線から進められないでいることを、中央で「あやしんでいるらしい」というのです。
それを知った征討軍はびっくりして、戦線付近の牛飼いや農夫たちを捕まえて、これを叛乱軍の捕虜と偽って、長安の都に送りました。

長安では皇帝から勅令が発せられ、儀礼刀が賜(たまわ)られ、街頭でその偽りの捕虜たちの処刑が行われました。
捕虜たちは、三段に斬られ、あるいは左右両軍の兵馬が、彼らを取り囲んで捕虜たちを撲殺しました。
かくて前線からは、続々と捕虜たちが送られて来るようになり、兵馬は休みなく往来し、市街で殺された死骸は道路に満ち、血は流れて土を濡らし泥となりました。

これを見物する人も道にあふれました。
皇帝もときどき見物にやって来ます。
一般のウワサでも、「護送されてくるのは叛乱軍ではなくて、近隣の牛飼いや農民ばかり、罪もないのに叛徒に仕立てあげられて捕らえられて来たものだ、
皇帝の軍隊はまだ州の境界線を突破できず、皇帝に戦果の上がらないのを怪しまれないようにするために、むやみと罪もない人民を捕まえては都に護送しているのだ」と、言っています。
もう誰もが知ることなのです。

にもかかわらず、そんな捕虜たちを、左右両軍の兵士どもは、斬り殺しては、その眼肉を割いて食べています。
だから市中の人々は、いずれも今年はなんと不吉な年かと言っています。

(以下略)
==========




と、話はまだまだ続くのですが、ここまでお読みいただいて、


いかがお感じになりましたでしょうか。
すべての権力と権威を握る個人がいるということの恐ろしさ。
そういう国に生まれることの恐ろしさ。

そしてそういう国に生まれ育てば、息を吐くように嘘を言ってでも


生き抜かなければならなくなることも、理解できようかと思います。
またご一読いただいて、この『入唐求法巡礼行記』が、


世界で「東アジアの三大旅行記」と呼ばれている古典書物でありながら、
戦後の日本で、まったく秘匿されてしまっていた理由も、


おわかりいただけたのではないかと思います。

(中略)

日本人にとって、支那のウシハク世界は、あまりにも異常な世界です。
だから良いとか、悪いとかではないのです。
なぜなら、我々がいくら非難したところで、支那の皇帝は変わりません。

そうでなくて、支那はそういうものだ、そういう人たちだと、わきまえて付き合う。
彼我の違いをきちんと認識して、付き合う。



良いものは積極的にどんどん取り入れ、


よくないものは、水際でシャットアウトする。
日本は、ずっとそのようにしてきたのです。

そういう古くからの日本人の知恵は、


私たちはしっかりと学ぶべきことだと思います。






全文は「ねずさんの ひとりごと」の「入唐求法巡礼行記」で
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2568.html



3行要約
・『入唐求法巡礼行記』はマルコポーロの『東方見聞録』、


西遊記として知られる『大唐西域記』、と共に


「東アジアの三大旅行記」として世界に広く知られている。
・『入唐求法巡礼行記』には9世紀の唐の酷い様子が、


実に克明に記録されている。
・著者が日本人にも関わらず、戦後ほとんど教えられない、理由はお察し。









だいたい戦争に巨大な石臼を持っていって、
人間を挽いて食料にしてたらしいよ。

王朝末期に人口が激減して、時に10分の1くらいになるのは、
飢饉のせいもあるけど、同時に食料として喰っちゃうから人間が減ると。







日本人の残虐行為ってあり得そうもないことを喧伝してるが


ほとんどは自分たちがやったことなんじゃないか







裏切りと密告の国、と言われる訳が朧気に判るわ。












結局、遣隋使も遣唐使も、古典で知る中国という国はもうない、
あるいは古典の中だけの仮想の世界だったことに気が付き、中止。

今も昔もプロパガンダの国なんだよ。
言葉麗々しく、中身のない国。







遣唐使、遣随使の時代から対して変わってないっていうw









(参考文献)
筑摩書房『古典日本文学全集』第15巻・仏教文学集
産経新聞社『国民の歴史』西尾幹二著


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by hinoe-e | 2015-03-12 15:27 | 中国