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今日ボクが見た風景

日米のアマゾンで良心的地球市民が「竹林はるか遠く」を酷評している件


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竹林はるか遠く—日本人少女ヨーコの戦争体験記 
 
この本は著者が、朝鮮半島で終戦を迎え

家族と日本へ引き上げる時に・・・

多くの日本人女性が朝鮮人に襲われ

強姦され、虐殺される場面に遭遇した

その事実が、記されている本です。

この本は 1986 年にアメリカで刊行後、数々の賞を受賞。

アメリカの教育現場では

副読本としても採用されていました。

邦訳が熱望されていた名著の待望の日本語版がついに出版されます。

朝鮮民族が日本人に、どのようなことをしてきたのか?

日本人として、その事実を知っておくべきだと思います

アマゾンではベストセラーの、一位を記録しました














41 of 76 people found the following review helpful
stays on a plateau, no climax, nothing exciting, April 18, 2000 By A Customer

盛り上がりもなくつまらなく、面白くもない本

おそらく私がもう受けることができない学校の授業のためにこの本を読むことを要求されたとしたならば、
私は自分自身の感想を確信できたと思う。これ本の装丁は、


あなたが表紙だけで内容を判断できる本であると言えるだろう。
つまり装丁の単純さが、この本の単純な内容を最高に表していると思われるからだ。

私はこの本の対象者としては、少しばかり年を取り過ぎているのかも知れない。
しかし、物語がたとえどんな年齢を目的としていたとしても、物語というのは


基本的に面白くなければならないと思っている。



そのためには、話の盛り上がり(アクション)とかクライマックスとかがなければならない。
この本の著者であるヨーコと、彼女の母親と姉妹が電車に乗っているところから始まり、


何章かを彼らの電車中での描写に費やしている。



それから、ずっと駅にいるかのような描写と、


さらに永遠に続くかのように書かれている倉庫に隠れている描写。
時々、何かの音に恐怖した彼女たちの行動や緊張感があるが、


それも一瞬のことであり、特に何の出来事が起きるわけでもない。




しかしこれがこの本の全てというわけではなく、答えのない相当な数の質問が残されたままである。



結果的も全員が誰も死ななかったことやその後幸せになったことについては、私を安心させた。


悪いのは物語でなく、それを読書の価値があるようにしなかった文章にあると私は考えている。



私の見解を変えるようようとして、彼女たちの苦難に対する悲惨な話であるといわれたことは理解できるが、
それならばもっと良い本がたくさんあると私は考えているし、そういう本を読みたいと思っている。
















61 of 104 people found the following review helpful
1.0 out of 5 stars A misleading book!!!, January 22, 2007 By S. Baik (phoenix)

ミスリードを狙った本だ!

これは、完全に捏造された歴史に基づく最悪のフィクションである。
この本は、日本の出版社でさえ日本語でこの本を出版することを拒否していることでも分かるように、
歴史を不正確な偏見の目で見させるものである。

肝心なことは、彼女と彼女の家族が第2次大戦終了後に朝鮮から追い出されるまで、
著者が戦犯(日本の朝鮮統治時代に北韓国の行政区に配属された日本政府高官)の娘で、
朝鮮人を苦しめることで得られた代価によって快適な生活を送っていたということである。
彼女は日本の帝国主義の不正な元受益者であり、この本は人々に


彼女の自身の誤った思惑を広げるものである。

著者によって主張される多くの不正確な情報を論破する証拠を


グーグルによって見つけることは難しいことではない。



この本が日本の帝国主義が最後の世紀の前半に他のアジア人にしたことを


あまり知らないアメリカの子供たちを狙った小説であることは、特に私をぞっとさせるのである。



あなたがあなたの子供たちにこの本を買おうとしているのならば、これに近づかないことをお薦めする。


それはあなたの子供たちに1誤った歴史認識を与えることになるのだから。




















日本語アマゾンでの★1つのコメント

739 人中、8人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 1.0 矛盾だらけの出鱈目本, 2013/7/11 By 西川 "幸江"
レビュー対象商品: 竹林はるか遠く—日本人少女ヨーコの戦争体験記 (単行本)

まずこのような本をあえて出すことで日韓関係を破壊して何の意味があるのでしょうか?

そして本の中の行為が韓国人である証拠はないし、日本人かもしれない中国人かもしれない
幼い少女の夢物語にどこまで信憑性があるのでしょうか?

また仮に韓国人の犯罪だったとしてそれは一個人の犯罪であって、


世界中で殺人は違法だけど殺人を行う人がいるように1人の行動で全体を批判するのは間違っています

日本はアジアを侵略し暴行、強姦、虐殺、略奪を行ったことは世界の歴史学者通説です。
河野談話で日本政府も認めている。



その責任転嫁を行おうとしているようにしか見えない






補足
この本が発行されたアメリカでは韓国系アメリカ人の少女が精神的苦痛を味わい


不登校になったためそれを問題視した学校側が取り扱いを中止しました。



一方、従軍慰安婦の問題は2007年に合衆国下院で対日非難決議されています。
アメリカ以外にもカナダ、オーストラリア、オランダ、そして東南アジアの多くの国々が


日本軍の戦争犯罪を非難している。



第三国であり正義の国であるアメリカが決議したものは客観性があり事実性がある



この本を見てほらみろといわんばかりのネット右翼のコメントは稚拙で幼稚













この本の内容に強度のアレルギー反応を示す韓国を全く理解できない,




内容は、終戦直後の激動を生き抜ぬいた著者一家の奇跡と感動の物語である。



現在のソ連国境に近い北朝鮮から、日本にたどり着くまでの過程で何があったかが、


子供の目線(著者は当時11歳)で描かれている。

その中で、韓国側が問題視する、日本人女性が朝鮮人に強姦されるシーンが描かれている。





「私たちは京城をでなければいけない。朝鮮人の男たちが、


藪の中へ女の人たちを引きずっていくのを見たし、若い女性に乱暴しているのも見たわ」(111頁)。




「男たちの集団は去ったが、彼らは悦楽を求めて人々の間をよろよろ歩き、


そして娘たちを見つける度に外へ引きずり出した。たびたび女たちの悲鳴が響いた」(118頁)。




また、朝鮮人が、日本人を殺したうえで金歯まで抜いている記述もある(129頁)。




死人から金歯を抜くなど、まさにアウシュビッツ収容所で行われていたことと全く同じである。

こうした事実の存在を韓国側が認めないのは理解できない。



著者の兄が親切な朝鮮人に助けられたことに関しての記述があるように(第11章)、



著者は反朝鮮の立場ではなくあくまで中立的立場でこの本を書いており、


事実をでっちあげるようなことをしていないのは明白である。


事実を事実として受け止めず、韓国はただ被害者であるという主張をするのは著しく問題である。




(中略)



こうした事実に基づいた本すら攻撃のターゲットになっているのは大変に恐ろしい。



そのことを知るうえで、貴重な邦訳である。












この本だけでなく五木寛之等、生き残りの証言は一致してるんだけどな
証拠も残ってるし。
慰安婦や南京と違って

五木寛之だって生き残ってしまった罪悪感や戦争の悲惨さは語るが
朝鮮を特定して責めていた記憶はない
原爆被害者だって同じだ

あの時代の戦火に巻き込まれた人々はみな戦争被害者
そういう感覚はないんだろうな。
加害を隠し被害だけをねつ造する国家や民族には








日米韓】朝鮮半島から引き揚げた日本人少女の苦難描いた小説が米国の学校教材に 


韓国系米国人ら反対 
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1171622427/




 1945年夏。朝鮮半島北部の羅南から、母と姉の3人で釜山への過酷な逃避行が続く。


病人が行き倒れ、日本人女性が朝鮮人に暴行目的で連れ去られるのをあちこちで目撃した。




【米韓】韓人教師の努力実る・・・171の学校で”ヨーコの話”撤去決定。


「ごみ処理で積まれた本を見て万感の思い」★2  
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1180267628/
 




【日韓】「あれでも穏便に書いたのです」 …


「韓国人が日本の少女強姦」で物議の米教材『ヨーコの話』の著者
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1170457031/



作者は、小説に登場する韓国人の日本人女性強姦シーンについて、


「当時に見たままを文章で書いていたら、読者たちは恐怖でぞっとしただろう」と主張して、


「幼い読者のためにやんわりと表現しようとしたつもりだが、


それでも韓国読者を怒らせた点は謝罪する」と述べた。









【朝日】「一番悪いのは韓国人との認識を持つだろう」日系人の本で韓国騒然★2
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1167619276/




問題の本は日本人ヨウコ・カワシマ・ワトキンズ(Yoko Kawashima Watkins)さんが書い
た「竹木をはるか離れて(So Far from the Bamboo Grove)」と言う自伝的小説で第二次大
戦以前、当時の韓国に住んでいた著者が家族と一緒に日本へ逃げるところから始まり、貧
乏の中で悲劇的に生きて行く内容を記している。

当時11歳だったワトキンズさんは満州で官吏をしていたお父さんのため、敗戦とともに韓
国人らに追い回されて日本へ逃げ、韓国を抜けだす過程で強姦と人々が死んで行くのを目
撃したと書いている。

So Far from the Bamboo Grove (ペーパーバック)
Yoko Kawashima Watkins (著)















正論 2005年 11月号

引揚民間人を襲った 朝 鮮 保 安 隊 の略奪・暴行・殺戮の嵐



(一部抜粋)



「満州や北朝鮮からの初期の脱出者は悲惨で、
 今も念頭を去らないいくつかのエピソードがある。
 北朝鮮で農業を営んでいた老夫婦は、年頃の娘二人を連れ、
 辛苦のすえやっと38度線近くの鉄原にたどりついた。
 そこで見たものは、日本人の娘達が次々にまずソ連兵に犯され、
 ついで 朝 鮮 人 の 保 安 隊 に引き渡されてさらに散々に辱められたうえ、
 虐殺されている光景であった。



         (中略)



「吉州や端川の海岸線にでた人たちに対する
 ソ連兵や朝鮮保安隊の略奪と暴行は、残酷をきわめた。
 夜中に雨戸を蹴破って侵入してきたソ連兵は、17になる娘を父親からひったくるように連行。
 娘は明け方になり無残な姿で、涙もかれはてて幽鬼のごとく帰ってきたという。
 みなソ連兵を 朝 鮮 人 が案内したのだった。
 部落ごとの保安隊の関所では、厳重な身体検査が行われ、金や着物や米などが取り上げられた。
 靴の底や、女の髪のなかから金を探し出すのはふつう。
 一糸まとわぬ姿にされ、取調べられた若い女性もあった。
 城津での惨状は言語に絶した。(中略) 朝 鮮 人 の 男女が数十人の団体でおしかけ、
 干してある洗濯物から赤児の着物まで剥ぎ取って掠奪され、
 あげくは婦人の“提供”を要求されたという」



博多港から車で40分ほどの二日市温泉郷につくられたのが、「二日市保養所」である。
強姦によって妊娠させられた女性たちには、堕胎手術が施された。
また、性病に感染した女性たちにについても、匿って回復するまで治療が行われた












レイプじゃないけど意外と知られていないのが、サハリンの残留婦人。
終戦と同時に朝鮮人の乱暴が始まり、十代から二十代の
日本女性が無理矢理嫁にされて、10人からの子供を
産まされている。
子供がいるために日本へは帰れない。
それを左翼婆は、日本人が朝鮮人を差別していた事で
戦後に鬱憤が爆発してそういった行動に出たと説明してた。
おい!不満があったら何しても許されるのかよ。

事実を知れ

「在日と結婚し北に行った日本人妻」はほとんどが好きこのんで在日と結婚
したのでは無いよ。朝鮮進駐軍と名乗って在日が暴れ回っていた頃に結婚し
てる人がほとんど。なぜか? 在日が日本人女性を当時多く強姦してたから。
妊娠してしまい、親との縁を切られた人も結構いた。そういう人たちを奴ら
が嫁(事実上の奴隷)にしたんだよ。朝鮮人が日本人女性を嫁にする=征服、
という価値観が彼らにあったんだよ。
という書きこがあった。

自分はこの話しを信じる。なぜなら樺太に残留した日本人女性を支援する活動
をしているという女性が、NHKのラジオで同じようなことを話ていたからだ。

樺太に残留した日本人女性を支援する活動をしているという女性が、NHKのラジ
オで話ていた。 樺太に残留した日本女性は、ほとんどが終戦後レイプや脅迫によ
って朝鮮人の妻にさせられた女性です。脅迫というのは、自分と結婚しないと、ソ
連当局に密告して家族全員を収容所送りにしてやる、というような脅しだったらしい。
終戦から2年後ぐらい後に日本の船が日本人を迎えに行ったときは、すでに妊娠
していたため帰るのをあきらめたという。

「サハリンの韓国人はなぜ帰れなかったのか—帰還運動にかけたある夫婦の四十年」新井 佐和子 (著)
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794207980/ii-22/249-3887511-5097148









『置き去り—サハリン残留日本女性たちの六十年』  吉武 輝子(著) 海竜社
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4759308792/250-6225082-6668210


 敗戦より60年目の夏を迎え、国家から見棄てられたため


集団自決したり残留孤児になったりした<満州開拓移民>
の悲劇を思い出す人も少なくないだろう。しかし、同様の悲劇が、


北方のサハリン(樺太)でもおきていたことを知る人は多くなかった。



吉武輝子さんのこの新著は、


その北辺の戦争悲劇に、<聞き書>という方法をもって正面から取り組んだ労作である。





 アイヌ民族やギリヤークなど自然民族の民住地だったサハリンは、


19世紀にロシアが植民地とし、20世紀初頭、日露戦争にによって日本が南半分を領有してからは


40万の日本人が暮らしていた。



その中には、太平洋戦争期に入って強制連行されたりした朝鮮人4万人あまりも含まれていた。



 そして1945年の8月、ソ連の参戦=サハリン侵攻によって、


在住の日本人・朝鮮人は地獄を体験、死者はおよそ1万人にのぼった。



15日の日本降伏の後にも、ソ連軍による空爆や潜水艦による引揚船攻撃は続き、


多大の死者が出ているのは、戦争の現場とはこのようなものなのだろうと察しられて、


本当に慄然とさせれる。



 そしてそういう最初の悲劇の大波が引いたあとも、


もっとも弱い立場にある若い日本女性の上には、新たな苦しみの波が襲ったのだった。



すなわち、日本敗戦により戦勝民族となった朝鮮人の中には、日本国家への反感憎悪を
近くにいる日本女性に向けて噴出させた人もいないわけではなかったからである。



 この状況において、若い日本の女性たちはどうしたか。


彼女たちの多くは、生きるために朝鮮人男性の妻となり、子供を生み、


その家族愛に惹かされて、サハリンに留まり生きざるを得なかったのだた。


そして吉武さんは、今は 70、80代に達した彼女たちに親しく接して、


その事実と心情とを克明に記録さtれた。消滅寸前の人間体験と心情とが、


辛うじて歴史化されたことを喜びたい。



(略














田岡一雄山口組組長の回顧録「山口組三代目 田岡一雄自伝」より転載

一瞬、ぎくりと立ちどまり、悲鳴のあがる方角に走った。途中で四、五歳の女
の子が泣きながら夢中で駆け寄ってきた。
「どないしたんや」
「おかあちゃんが、おかあちゃんが」
少女は私に泣きじゃくりながらしがみつく。この世のものとは思えぬ女の狂気
じみた悲鳴がきこえつづけていた。
「ここにいるんやで。ええな」
私は少女をその場において一目散に走った。少女の母親は木立の中で数人の男
に犯されていた。飛行服の男たちだった・・・
                 (中略)
通りすがりの通行人の目つきが気に食わないといっては難くせをつけ、無銭飲
食をし、白昼の路上で集団で婦女子にいたずらをする。善良な市民は恐怖のど
ん底に叩き込まれた。こういった不良分子(朝鮮人)は旧陸海軍の飛行服を好
んで身につけていた。袖に腕章をつけ、半長靴をはき、純白の絹のマフラーを
首に巻きつけ、肩で風を切って町をのし歩いた。腰には拳銃をさげ、白い包帯
を巻きつけた鉄パイプの凶器を引っさげたかれらの略奪、暴行には目にあまる
ものがあった。警官が駆けつけてきても手も足も出ない。「俺たちは戦勝国民
だ。敗戦国の日本人が何をいうか」警官は小突き回され、サーベルはヘシ曲げ
られ、街は暴漢の跳梁に無警察状態だ。

「田岡組長が神戸の静かな住宅街を歩いていると、小さな子供が一人で歩いてきた。
不審に思ってその子供に問いかけるとこどもは向こうの方を指差した。
そこには、その子供の若い母親が三人の朝鮮人に強姦 されていた。
田岡組長が助に行くとその朝鮮人が向かって来たが、
二人の眼球をえぐると一人は腰を抜かして逃げていった。
しかし、その若い母親は気が狂っていた。上品な顔立ちの美しい女性だった」

山口組三代目 飯干晃一 著 より










「白い手黄色い手」 1956年 毎日新聞社 (「韓国のイメージ」鄭大均 より)



もう日本人じゃない」日本降伏の直後、マッカーサー元帥が厚木に乗りこんでくると
まっ先にこう叫び出したのは在日六十万の朝鮮人だった。
彼らの多くは戦前出かせぎのため日本に渡ってきたか
あるいは戦時中軍部の徴用で連れてこられたもので
内地における生活がみじめだっただけにこの強気が一度に爆発した。
彼らは敗戦国にのりこんできた戦勝の異国人と同じように
混乱につけこんでわが物顔に振舞いはじめた。
米でも衣料でも砂糖でもモノが不足していた時代に
彼らは経済統制など素知らぬ顔でフルに"モノ"を動かした。
当時絶対に手に入らなかった純綿のハダ着や雑貨、菓子類、ウィスキー、外国の医薬品など
彼らのヤミ市では簡単に買うことができた。
ヒロポンや密造酒が集散されたのも主としてそこだった。
ゴミゴミしたマーケットから金持が続々と生れていった。
完全な無警察状態……。そのいい例が昭和二十四年春、東京深川でおこった枝川町事件である。
朝鮮人四人組が月島の織物問屋から純綿八十二反を盗み出して巨利をせしめた。
犯人の身もとがわかり、深川署の刑事ふたりが逮捕状をもって……出かけたところ
……逆に”不審尋問”され、袋だたきの目にあった。
当時の朝鮮人の鼻息がどんなにすさまじかったか、容易に想像できる。
”見まい、聞くまい、振りむくまい”深川署の刑事たちは
そんな言葉で自分たちの無力を嘆じあったという。











金素雲も嘆く在日朝鮮人の横暴

日本人はなぜ朝鮮人が嫌いか、差別されるには朝鮮人の方にもそれなりの原因
がある、という筆者の論は決して間違っていないと思ふ。例えばあの有名な朝鮮
人詩人の金素雲氏は、その自伝の中で次のように書いている。

日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいというのが、その当時
(昭和の初期—筆者注)同胞の間では常識化していた風習だった。

「お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!」——こちらにはこ
んな腹があったが、引っかけられた日本人の側では恨み骨髄にならざるを得な
かった。家賃をもらうどころか5,6ヵ月分の家賃に当たる金を<立退料>という
名目で払わなければならなかった。こんなとき、その仲介の役割を果たすのが、
いうなれば叔父の職分だった。(同胞が集団居住する町には、こんなブローカー
が必ず何人かいた)

1,2年ただで住んでは<立退料>をせしめて家を空けてやることもあったが、時
には引っ越した次の日に大家から立退料を取ってまた引っ越していく、そんな場
合もあった。 その立退料の半分ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの
懐に入ってくる。もちろんこれは4,50年前の昔話ではあるが、こんなやり口が
その後長い間い年月を通じて、大多数の日本人の生活感情の底に<チョーセン
ジン>を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも事実である。
                  
               中村 粲   文武新論 平成5年7月10日










直江津駅リンチ殺人事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E6%B4%A5%E9%A7%E3%AA%E3%B3%E3%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6


・直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)

信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って乗り込もうとした
ところ、ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、デッキにぶらさがって直江津駅
まで行った。彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、
仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄ったが、日本人乗客が
「窓から乗り込むという方法はない」と反駁したので、「朝鮮人に向かって生意気だ!
ホームに降りろ!殺してやる!!」と叫んで、その乗客をホームへ引きずり出して、パイプや
スコップで滅多打ちにして殺害した。
朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに終わって
しまった。
なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、急遽設けられたのが
「鉄道公安官」制度である。
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/crime.html










「中坊公平・私の事件簿」(中坊公平2000.11.22)の中に、一つ在日の犯罪が載っている。

借金を返済しない在日韓国人を法律的に追いつめたところ、中坊弁護士が暴行を受けたのである。
後頭部を打ち付けられて怪我した中坊氏。

「お前こんなことしていいと思ってるのか。こっちは頭に傷を負って出血してるんやぞ。」
すると、彼の連れてきた暴力団風の男は予想もしない行動に出ました。



私の目の前で「お前、俺をやったな」と言いながら、


自分で自分のカッターシャツを両の手で力任せに引き裂き、ばーんとボタンを弾き飛ばしたのです。



そして、「俺かてお前にこうしてやられてるやないか」と言う。

その後、警察に行くと在日側の弁護士に暴行で訴えられた。



幸いにも証拠と証人があり、冤罪が証明されたのですが、



街宣車が家まで来て「民族差別を許すな!」。 これじゃあ、弁護士もいやになるだろう。









「コリアン世界の旅」 野村進 1996年 講談社



いま全国に約一万八千軒あるパチンコ店のうち
在日および帰化者二世・三世を含む)が経営する店の割合は
六割とも七割とも言われる。三軒に二軒は、オーナーが韓国・朝鮮系ということなのである。
パチンコ台の製造メーカーにも、最大手の「平和」を筆頭に、韓国・朝鮮系の経営者が名を連ねている。
(中略)
パチンコが全国に広まり大衆的な人気を博するのは、明らかに日本の敗戦直後からである。
身近に安価な娯楽がなかったためという理由ばかりではない。
焼け跡闇市の時代の庶民を何よりも魅了したのは、景品に出されるタバコだった。
配給制で常に不足がちなタバコが、強力な呼び水となって、戦後最初のパチンコ・ブームを巻き起こしたのである。
かくしてパチンコ店は雨後の筍のように増えていくのだが
当時、開店資金をどのようにして工面したのか
その経緯が在日自身の口からおおやけにされることも、私の知るかぎり絶無と言ってよかった。
『こんなことを話す人間は、ほかにおらんだろうね』 と前置きして、キムが語る。
『闇市で儲けて、それからパチンコ(店経営)に走った人が多いんですよ。
じゃあ闇市で何をして儲けたかというと、結局、ヒロポンと贓物故買(ぞうぶつこばい)だよね』
密造した覚醒剤を売りさばいたり、盗品の横流しをしたりして
短期間のうちに大金を作り、それをパチンコ店開業に振り向けたというのである。
『そういううしろ暗い過去がなかったら、カネなんていうものはそんなに貯まらんですよ。
うしろ暗い過去があるから、人にも言われんわけでね』
(贓物故買=窃盗、詐欺などの犯罪行為によって不正に得た物品を売買すること)
(中略)
戦争直後、韓国・朝鮮人がいくらかの元手ができると
すぐパチンコ店経営に乗り出したのは、日銭が確実に入り
その額がほかの廃品回収や焼肉といった職業よりも格段によかったからである。
一日の売り上げだけを見ても、数字のゼロが一つかニつ多かったのだ。










崔洋一が日本映画を駄目にした
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/cinema/1226631913/328

 このごろレイプ事件がよく報道されている。
 それを読みながら、かつての在日朝鮮人活動家たちによる、
隠された<日本女性レイプ事件>を思い出す。
 古い資料だが『マルコポーロ』1993年9月号に、梁石日、崔洋一、鄭義信の鼎談が掲載されていた。

 崔「一時流行ったんだな。左翼の日本人少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが(笑)」
 鄭「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね」
 梁「男の風上にもおけんなあ」
 崔「梁さん、唇、震えてますよ(笑)」

 映画監督の崔洋一は笑っているが、笑い事ではないのである。
 朝鮮問題に関わる政治運動をしている日本人女性たちが、在日朝鮮人活動家に警戒心を無くし、
朝鮮人と二人きりになった時にレイプされるという事件が、少なくなかったのである。
 そして、彼女たちは「反体制意識」を持っていたがゆえに、警察に通報することもなく、泣き寝入りした。
周囲の日本人からは、運動団体内でフリーセックスが流行っていると思われていたが、実態は朝鮮人左翼による
日本女性のレイプであった。
 「我々は人権を重んじる」と自ら主張していた在日朝鮮人の活動家たちが、何故そんなことをするのか。
また、日本の女性たちは、左翼活動家とはいえ在日朝鮮人男性が訪ねてくると、なぜ警戒心を無くして
部屋に上げてしまったのか。
 今はどうなのか知らないが、昔はそういう時代であったのである








李珍宇事件を思い出すな

連続強姦殺人鬼なのに
俺は未成年の朝鮮人だから無罪だ!と叫んで
それに日本の進歩的な連中が応援したと言う狂気もいい所だ。
面白半分に強姦されて殺された少女や女性が哀れでならないし
これが無罪になってたら、朝鮮人は日本人女性を強姦殺人しても罪にならないって
悪しき前例を作る所だった









韓国「竹島不法占拠」の歴史 日本人の死傷者44人
http://www.news-postseven.com/archives/20101022_4077.html

※以下、記事大幅省略

1952年1月、韓国の李承晩大統領が一方的に軍事境界線(いわゆる李承晩ライン)を引き、
竹島の領有を宣言した。
それ以前に韓国は、サンフランシスコ平和条約の起草に際し、
アメリカに「日本が放棄する領土に竹島と対馬を含めよ」と要求していたが、
アメリカ側は「これらの島が朝鮮の一部として取り扱われたことは一度もない」と却下。
そのため、韓国は52年4月のサンフランシスコ平和条約発効に先立ち、
国際法を無視し、一方的に領有を宣言したのである。

当然のことながら日本はこれに反発し、
53年6月に島根県は隠岐島漁業協同組合連合会に共同漁業権の免許を与え、
島根県と海上保安庁が共同で竹島を調査し、韓国人6名を退去させ、領土標識を建てた。

しかし、韓国は54年に竹島に海洋警察を上陸させ、不法占拠を開始。
それと前後して、竹島近海で操業している日本漁船に対して、
銃撃や拿捕を繰り返すようになったのだ。

まず53年2月、韓国・済州島付近で操業していた第一大邦丸が韓国海軍に銃撃・拿捕され
漁労長が撃たれて死亡する事件が起きた。
同年7月には、海上保安庁の巡視船が竹島に上陸していた韓国の官憲から発砲され、船体に被弾した。

日韓漁業協議会の調べでは、
65年に日韓基本条約と漁業協定が締結されるまでに、拿捕された日本の漁船は328隻、
抑留された船員は3929人、死傷者は44人にのぼる。損害額は当時の金額で90億円を超えたとされている。










173: 日本@名無史さん 2011/03/11(金) 19:55:32.92



地震で死ね ざまあ




175: 日本@名無史さん 2011/03/11(金) 22:43:58.36



天罰!
おめでとうございます.! また倭猿三百匹死亡しました♪

日本列島大混乱www
日本にバナナ供給してやろうか?

余震 火災 津波 土砂崩れ 鉄道脱線 放射能漏れ♪

今夜は楽しい酒飲んでます♪




177: 日本@名無史さん 2011/03/12(土) 01:33:21.34



おい 今宵は酒うめえな w




180: 日本@名無史さん 2011/03/12(土) 02:14:26.93



過去の日本の業が引き起こした地震なんだけどな。
日本自体が罰を受けるように神が仕掛けたお仕置きなんだよ。










【日韓】


「日本人は出て行け!」「倭人はみな殺しだ!」敗戦後の大邱にあふれる声~三中井百貨店と日本崩壊




「日本人は出て行け」「おまえらの国に帰れ!」天皇が敗戦を知らせる放送から一日が過ぎるとすぐ
に大邱北城路はあふれ出た朝鮮人で込み合った。昨日まで北城路の主人だった日本人たちは門
戸を閉ざして家に縮こまり座して状況を見回した。

「玄海灘を泳いで渡れ!」「出て行け!」朝鮮人たちの叫びは地獄の火の穴から出てくる夜叉の声
も同然だった。北城路三中井百貨店(現北城路現大宇駐車場の場所にあった朝鮮の3大百貨店
の一つ)社長の中江勝治郎はソファに身体をぞうきんのように詰め込んだまま朝鮮人たちの万歳
の声を聞いた。万歳合唱はいつのまにか扇動に変わっていた。

「倭人たちをぶっ殺そう!」「みんな殺してしまおう!」敗戦わずか一日でこのありさまか。離れるほ
かないのか。血と汗で築いた百貨店をここでたたまなければならないということか。死んで百貨店
を守ることができるだろうか。死んで守ることができるなら死ぬだろう。いったい世の中はどのよう
に変わっているのか。

中江はこの状況を理解できなかった。慶北道庁も憲兵隊もひとまず待機というだけで、どうしろと
の指示はなかった。大邱警察署も上部の命令を待つだけの表情だった。朝鮮人巡査は最初から
出勤しなかったり故郷へ逃げてしまったという。治安を維持しなければならない巡査は警察署を守
るのに汲々としていた。一日に何回も電話で話を交わす日本人事業家はどうしても離れるべきだ
と予想する様子だった。



「離れるって!離れたら百貨店はどうなる?」中江は初めて朝鮮人を経営専門家に育てなかった
ことを後悔した。朝鮮人を専門家にしなくても経営に問題はなかった。敗戦しなかったら今後も問
題はなかっただろう。いや、朝鮮人を専門家に育てるのは危険だったり、費用に比べて収益が少
なかった。間違った判断ではなかった。朝鮮人は目を伏せるが本当には服従しなかった。彼らは
羊のように柔順だが、決して服従したり従わないという点でオオカミのような種族だった。


(中略)



1945年、日本が太平洋戦争で敗れた後、満州とサハリン、韓国など植民地にいた日本人たちは
全財産を没収され手ぶらで帰国の途についた。彼らの大部分は日本本土で貧しい者であったし、
植民地に行けば金持ちになれるという日本政府の呼び掛けと後援を信じて植民地に移住した。し
かし、崩壊と共に彼らは全てのものを失った。結局、日本帝国主義は植民地被支配民だけでなく
自国の貧しい人々にもぬぐえない傷を残したのだ。

(略











吉田茂氏がマッカーサーに宛てた「在日朝鮮人に対する措置」文書(1949年)

朝鮮人居住者の問題に関しては、早急に解決をはからなければなりません。
彼らは総数100万にちかく、その半数は不法入国であります。

私としては、これらすべての朝鮮人がその母国たる半島に帰還するよう期待するものであります。
その理由は次の通りであります。

(1)現在および将来の食糧事情からみて、余分な人口の維持は不可能であります。
米国の好意により、日本は大量の食糧を輸入しており、その一部を在日朝鮮人を養うために使用しております。
このような輸入は、将来の世代に負担を課すことになります。
朝鮮人のために負っている対米負債のこの部分を、将来の世代に負わせることは不公平であると思われます。

(2)大多数の朝鮮人は、日本経済の復興に全く貢献しておりません。

(3)さらに悪いことには、朝鮮人の中で犯罪分子が大きな割合を占めております。
彼らは、日本の経済法令の常習的違反者であります。彼らの多くは共産主義者ならびにそのシンパで、
最も悪辣な政治犯罪を犯す傾向が強く、
常時7000名以上が獄中にいるという状態であります。
--中略--
さて、朝鮮人の本国送還に関する私の見解は次の通りであります。

(1)原則として、すべての朝鮮人を日本政府の費用で本国に送還すべきである。

(2)日本への残留を希望する朝鮮人は、日本政府の許可を受けなければならない。
許可は日本の経済復興の貢献する能力を有すると思われる朝鮮人に与えられる。 
上述のような見解を、原則的に閣下がご承認くださるならば、私は、朝鮮人の本国帰還に関する
予算並びに他の具体的措置を提出するものであります。

敬具 吉田 茂
(田中宏「在日外国人」より)









今も 何も 変わっちゃいない


by hinoe-e | 2013-07-20 01:12 | 歴史