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今日ボクが見た風景

日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない K・ギルバート氏





私はブログとフェイスブックに載せる記事を、原則として日本語と英語の2カ国語で書いている。記事の題材や資料が英語の場合、先に英語で書いてから日本語に翻訳する。この場合はあまり苦労を感じない。

 しかし、参照する資料などが日本語だった場合、先に日本語で記事を書いてから英語に翻訳する場合が多い。このパターンは少々やっかいだ。

 日本語は漢字という1種類の表意文字と、ひらがなとカタカナという2種類の表音文字を組み合わせて表記できる。しかも、「助詞」をうまく使えば、日本語は文の中で語順を入れ替えることすら自由自在だ。

 他方、英語はアルファベットという26文字だけで全てを表現しなければならない。便利な「助詞」は存在せず、倒置法などは限られる。

 ちなみに、日本語の仮名は「五十音」と言われるが、「がざだば」行の濁音、「ぱ」行の半濁音、「ぁ」行と「っゃゅょゎ」という捨て仮名を入れると、ひらがなは76文字。カタカナは「ヴ」も使うから77文字ある。加えて、常用漢字は2136字/4388音訓もあり、同じ言葉でも、どの文字種を使うかで微妙に意味を変えられる。

 従って、日本語で文章を書くときの自由度の高さは、英語とは比較にならない。うまい皮肉を日本語で思い付いても、英語で表現しようとすると本当に大変なのだ。

 世界に誇るべき日本語の表現力だが、前回の連載で、君が代の変遷について書く際に、日本の初代文部大臣の森有礼(ありのり)について調べていたら、驚くべき事実を知ってしまった。

 森は10代で英国に留学しており、英語が非常に堪能だった。この日英バイリンガルの大先輩は「日本語を廃止して、英語を日本の国語にすべきだ」と考えていた。漢字の複雑さを特に問題視していたようだ。

 確かに、明治初期の漢字は今よりも複雑で数も多かった。話し言葉は口語、書き言葉は漢文という不自由な習慣もあった。西洋に後れた政治や経済、科学などの学習に必要不可欠な英単語は、日本では概念すら存在しないものが多かった。

 例えば、「社会」「存在」「自然」「権利」「自由」「個人」「品性」「人格」「情報」「近代」「美」「恋愛」「芸術」「彼・彼女」などの言葉は、江戸時代の日本にはなかった。明治期の先人が苦労を重ねて生み出したのだ。

 もし、これらの言葉が使えなかったら、日本語の文筆作業は相当もどかしい。だから、当時の森の気持ちも理解できるが、現代から見れば、満41歳で暗殺された森の考えは若気の至りだった。

 ところが、本当に漢字を廃止して、独自の表音文字だけにした国が、日本の近くに存在する。結果、国民の大多数が、わずか70年前の書籍や新聞を全く読めず、真実の歴史に向き合えない。悲劇と呼ぶべきか、喜劇なのか。それが問題だ。


http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150325/dms1503251140002-n1.htm?view=pc


引用元:http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1427305751/


ソース:


http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150325/dms1503251140002-n1.htm?view=pc









ケントいいな、おもしろい。
その辺のマスゴミ記事の駄文稚文よりよっぽど読みやすかった。








ギルバート完全にバイリンガル










ケント日本語堪能すぎるw
落ちが絶妙だしw














単なる日本語と英語の表現比較論だと思って読んでたら


最後のオチで笑っちまったじゃないか。
この人どんだけ嫌韓覚醒してんだよw













自由な日本語、故に伝えたい事をきちんと論理的に組み立てる事が大切だと思うわ。

実際、ケントみたいな文章ワイ書けへんでw












明治期の漢字廃止論者は以外と多い。
しかし、結局そんなことはできなかったし、できなくて良かった。
表意文字と表音文字が混在する日本語は表現力豊かな言語だよ。
そして、現代の日本人が万葉集の歌の心を普通に鑑賞できるなんて奇跡のようなことだ。












日本人は表現力が豊だと思うがそこに積極性はない。



秘すれば花が文化の国
ケントさんよくわかってらっしゃるな。


隣国がどういうものかもよくわかっていらっしゃる。


頭が下がるよ











日本語は自分を表す言葉だけでもすごく沢山あるし、
その単語だけでもニュアンスを伝えられるしね。








そのぶん、喋りにはちょっとな。
スピーチには向かねえ。










「私は貴方の主張に同意しない。なぜならば~」
という言い方を日本人はまずしない。



日本人にとって大事なのは、まず相手のメンツを潰さない事であり
その上で持論を主張し、その間も相手が反感を抱かない言葉を選んで
つまり論破するのではなくて、折衷案みたいなものを常に出す傾向が強いと思う。
だから、人によっては何が言いたいのか伝わりづらい「難しい言語」だと思う。
表現の幅が広いというのは、簡潔さを欠き、また欠いたままでも
ある程度話が進むので、なんとなく「対決する言語」って感じはやはりしないんですよ僕は。
個人の意思よりも全体の合意を促しやすい言語だと感じます。











どうとでも取れる表現の曖昧さというのは日本人の意思決定能力を
奪っている気がする。


話が脱線しやすいと言うのも、機能としては致命的で


より簡潔に話そうと心掛けると、


やはり漢字主体にならざるを得ないのを実感する。



今の日本語も言葉遊びとしては面白いが、


実際その機能を高めようとするなら、
戦前の文章の方が合理的と感じる。特に説得力が段違い。













意思決定できない人が、母国語の言葉遊びに耽溺したりするんであって、


べつに日本語自体は意思決定できない言語ではないよ。
日本人の先人だって、意思決定をしてきた先人たちは、いくらでもいるじゃないか。
数学や物理学の先端研究だって、日本語で出来るし、ノーベル物理学賞とかフィールズ賞(数学の賞)の受賞者とかも、日本は出してる









ノーベル賞を受賞した南部さんは、


数学的に考えるのであれば英語がいいとか言っていた記憶がある。












なんでも一長一短だな。
英語は英語で、同じ意味でも微妙に意味合いが違う単語がたくさんあって、


日本語にはない便利さがある。











戦後にも、一部で日本語を廃止しようという動きがあったみたいだね
(もちろん実現しなかったが)

英語がどう日本語がどうという気はないが、


それまで続いてきた文化を断ち切って新しい物にしようとするのはよくない
たとえそれが些細な物でも、一度途切れてしまうと、


理解・継承できなくなってしまう
日本刀なんか、その最たる例だと思う

無理に合理化なんかしないで、今まで通りでいいんだよ













つまり日本語の自由さと、英語の論理性を組み合われば最強
日本語と英語2か国語をマスターせよ、ということですね。















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by hinoe-e | 2015-03-26 10:32 | ブログ